生きている事が重い。だけど、重いから自ら断ち切ることも出来ない。中途半端にぶら下がってる。
何度も蹂躙されて、それで確かに大切なものは目に見えてゆっくり壊れていく。
それでも、それを止める術がわからなかった。
今、は、


**



「世界は汚い」


唐突にそう切り出したあたしを、そいつは少しびっくりしたような顔で見つめた。
ほんと、唾を吐きたくなるくらいお綺麗な顔をしていらっしゃる。
首をかしげた拍子にこれまた何かの決められた法則みたいに冗談みたいな色をした髪がさらりと目に掛かる。
何が嫌だってそれがまるでそうあるのが当たり前、とでも言うかのようにぴったりとはまる所。ほんと、ムカつく。
「世界は汚い」
「そう」
あたしがもう一度繰り返すと、今度は間髪要れずに言葉を返してきた。
そう。
そう。
「そう、って、何?」
白いベッドの上に座ってシーツに包まりながら苛立ちを隠さないであたしはカップを持ってこっちへ向かってくるそいつに視線を向ける。
ああ、わかる。私はいま、すごく醜い顔をしているに違いない。醜くて、すごく、きたない。そういう。
「そんなこわい顔しないの。そんな顔もトアにかかればかわいーけどさ」
「何、ばかなこといってんの。そんなこときいてない」
「はいはい、で、なんだって?「世界は汚い」だっけ?」
ぎし、とベッドの端に腰掛けるとカップに口をつけながら問う。コーヒーだ。こいつが今飲んでいるのは。あたしはコーヒーが嫌いだ。匂いをかぐと吐きそうになる。
黒い、というのも嫌だ。というよりおそらくあたしは、こいつがその黒いものを飲んでる、というのが嫌なのだ。だってまるで、


「・・・なんで逃げるの」


ずりずりとシーツごと後ろに下がると面白そうにそいつはわらう。
ムカつくムカつく、どうしてこいつはこんなに綺麗なんだろう。
まるで嘘だらけの、汚いこの世界で、どうしてこんなに綺麗なものが生まれてくるんだろう。あたしにはわからない。理解できない。
綺麗なもの、の定義で棘のかわりにこいつには性格の、性根の悪さがあるけども、それさえ払拭してしまうような。というより、それさえ魅力にしてしまう、ような。
あたしが何も答えないでシーツの中で悶々と考えているとコト、とカップを床に置く音がした。
「おーい、ほーちプレイですかトアさん。ヨクさんはさびしくて泣いちゃいますよー」
ぎしぎしとベッドがきしむ。それに比例するかのようにそいつの声は近づいてきて、直前で止まりそのまましくしく、と泣きまねまでしはじめた。
「・・・・・」
「しくしく」
「・・・・・・・」
「しくしく」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・?」
不意にうざったい声が聞こえなくなって訝しげにシーツから顔を出した瞬間、ぎゅ、と抱きしめられた。シーツごと、突然。
「はっ?!」
「放置するからいけないんですートアのきちくーそんなに俺をいじめて楽しい?」
それはこっちの台詞、といいかけて、その顔を見て口をつぐむ。睨みつけて逃げようとすれば手首をつかまれて壁に押し付けられた。
痛い。毎回そうだ。最後には、結局力では敵わない。昔からそうだ。どんなに脳みそのない男でも、力だけは無駄に強くて。
あたしは確かにあたしの何かが壊れていくのを感じながらも、何も出来ないのだ。毎回。いつも。何度も。
「何する気?」
「何する気」
「・・・そう」
「・・・・・冗談だよ。じょーだん」
冗談。そういいつつも手を離さないそいつを下から睨み上げれば困ったような、何か訴えかけるような、そんな変な顔をする。最近いつも。
そんなに、汚いだろうか。あたしは。もう、綺麗でないことぐらいはわかってる。冗談でも、そんなこといえない。やっぱり、あたしは汚いのだ。どこまでも。死ぬまで。


「で、答えは?」
「ん?」
「世界は汚い。「そう」、の意味」
「ああ、」
そいつはあたしの肩に顎を乗せて優しく抱きしめ直すと、

「嘘だらけの世界で、汚いものばっかりの世界で、それでもトアがここにいるのは確かだろ?世界が汚くても、トアはきれいだよ。すくなくとも俺の世界の中で、いちばん」



うん、わかってる。わかってた。きっとあんたがあたしが望んだ答えを言ってくれるだろうことは。
どうしてだろう。どうしてこんなに綺麗なんだろう。どうして、綺麗なものから吐き出されるものは酷く、残酷なんだろう。
あたしは、
あたしは。

壊れていくのを止められなかった。だから、やめよう、と思ったんだ。重すぎて、断ち切ることが出来なかったそれも、それさえも、ひびが入って。
どうしてあの時出会ってしまったんだろう。汚いものが、綺麗なものに触れてしまえば、汚れを残してしまうことはわかりきっているのに。
そして、離れられなくなる、だろうということも。


「いやだ」
「うん?だめ?」
「いやだ・・・・」
「ごめんね、でも、これだけは譲れないなあ」
「だめ、だ・・・ヨク、だめ・・・」
「うん、そうだね」
「いや、なんだ・・・あたし・・・」
「うん」

ぐるぐるする。片隅で、嘘だらけの世界の片隅で、本当の欠片があるなら。全部本当じゃなくていい。世界のほとんどが嘘で塗り固められてることは、もう知ってしまってる。
それでも、それだから、だから。





「大丈夫だよ、トア」












―あたしは今が壊れることが、こわい。