チン。
間の抜けた音が聞こえてミオはコーヒーの入ったカップをテーブルに置いて立ち上がる。
香ばしいトーストの焼けた匂いに反応してお腹が鳴ったのにふと時計を見ると針は11時を指してた。
(・・・昨日遅かったかも)
本を読んでいていつの間にか寝ていたから確かな時間はわからないけど、夢見の悪さからしてもあんまりハッピーな本は読んでなかったんだろうな。結末はどうだったっけ?覚えていない。重要なのはストーリーじゃなくて現実逃避できるか。

―きみが狂った瞬間からおそらく自分が自分でなくなったのを忘れるように。

**

トーストを皿に移しながらぼんやり考えていると背後からにゅっと手が生えてトーストをつかんだ。
「・・・おい」
「んー・・・おいひい。みお、今日がっこーじゃなかったっけー?」
「今頃それ、言う?」
ミオの言葉にんー、とレオが時計を見てあはは、と笑う。いつもと同じように、頬をゆるませて本当におもしろそうに。
「お昼じゃーん。今日は自主休講ってやつだねえ」
「誰だ俺の目覚まし止めたヤツ」
トーストが二枚になった皿をテーブルに置きながら言うと「あれ、うるさかったからさあ」。
静かだったら目覚ましの意味がないろうと問いかけたところでおそらくその分の労力を無駄に消費するだけなのはわかりきっているのであえてスルー。今度は枕の横じゃなくてベッドの下に置いとこう。暗くて気づかない可能性が期待できる。
・・・とか無駄な攻防戦の戦略を考えながら一枚目のトーストかじっているとじいっと自分を見ているレオと目が合った。
「・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・ああ。のどかわいた?」
トーストを置いてコーヒーを入れるべく席を立つと後ろから「コーヒーミルクでミルク多めー」、きっと笑顔で言ってるんだろうけど注文多いな。ミルクコーヒーも自分で満足に入れられない俺のおにーさんは今日も元気です空から見守ってくれてるお母さんお父さん安心して。・・・そろそろ箱に入れてすてて他の人拾ってもらっていいですか。

「今日は図書館いくの」
コーヒーミルクをテーブルに置くと「やっぱみおの入れるコーヒーミルクがいちばん美味しい」といいながらあごをテーブルつけて非常に行儀の悪い飲み方をしながら上目遣い聞いてくる。こういう時、こいつは俺と同じ顔をしていながら確実に俺より自分の顔の使い方を知っている、と思う。何も知らないような瞳をして子供みたいな声で。

「いくよ」
「ふうん」
答えるとレオは興味がなさそうに目をそらしてそれからふ、とそれはもう自然な動作でもう一度視線を合わせる「でも最近、本かりてないよね」。
「・・・そんなこと、ないけど。ていうか何、俺の借りた本いちいち調べてるわけ?」
俺はいまなにくわぬ顔ができてる?疑問符で返しながら時間を稼ぐ。ああ、浮気とかしてる夫の気分だ。きっとそんな感じ。
「別にー?僕はちょっと前にサンタクロースとかいう題の絵本をみおが借りてきたのもしらないしもしえっちな本を借りてきても知らないふりし続けるよ。うん」
・・・・見てるのか。いや、えっちな本は今後も借りないけど。
「ま、僕にはかんけいないけど。もっかいねる」
れおは一方的に会話を打ち切ると乱暴に席を立って部屋に入っていった。ってそっち俺の部屋なんだけど。
小さくため息をついて背もたれにもたれる。
レオは嘘を嫌う。誤魔化しを嫌う。ぜんぶぜんぶ、おまえから出たものだ、とはだから云えない。本当は本当はほんとうは。その先を云えない。
停滞は安全だ。幸せは安全だ。だからこそ永遠には続かない。解ってるはず、俺は解ってる筈。だから大丈夫。
「どうして」
小さな吐息とともに吐き出して。誰にも届かないならいい。そのほうがいい。